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「五街道をあるく」 夫婦二人旅(続2)
街道の一里塚と並木
一里塚 その1
江戸幕府は慶長九年(1604)、日本橋を起点に一里塚を築かせた。この時の言い伝えとして「よい木を植えよ」と言うことを当時の総奉行大久保長安が「榎(えのき)」と間違えたという説があるが、確かに榎は根もしっかりとしていて、枝の広がりも良く一里塚に植える木としては適している。一里塚の木の種類を五街道にみると、やはり榎が一里塚の半分以上の55%を占め、松が27%、杉8%で以下桜、栗、椋(むく)、檜(ひのき)、樫(かし)となっている。珍しいものでは桑、柊(ひいらぎ)、漆(うるし)なども一本ずつ植えられていた。日光道中は杉並木の関係から杉が最も多かった。また、一里塚は旅人にとって自分の歩行距離を知ることができ、次の一里塚はまだかと思う事で重い足取りに弾みを付けるのにも役立ったといわれる。
(写真1)荒物屋の隣にある一里塚
志村一里塚(中山道:現東京都板橋区)(01.5.5)
中山道は、日本橋を出て板橋を過ぎ、環7を越え国道に出る。しばらく歩くと志村(東京都板橋区)の一里塚、枝ぶりのいい榎が見えてくる。都内で最初の現存する一里塚(中山道では三番目の塚)で、ほぼ原形のまま残っている。旧道は、今は国道に変わっているが、対面に見える荒物屋(今の日用雑貨店)の隣にある一里塚がいい雰囲気を出している(写真1)。(写真2)は志村一里塚と榎である。
(写真2)志村一里塚と榎
野村一里塚(東海道:現三重県亀山市)(99.12.27)
慶長九年、家康の命により亀山城主・関一政が築いたとされている。もとは左に榎、右に椋であったが、現在では北側の椋だけが残っている。約3mの盛土の上に周囲6m、高さ33m、樹齢約4百年の年輪を重ねた巨木は見るものを圧する感がある。県下の一里塚で現存するのはここだけである。
平出一里塚(中山道:現長野県塩尻市宗賀(そうが))(01.11.15)
塩尻宿を過ぎ桔梗ヶ原に入ると平出一里塚の前に行き着く。道路の畑中に盛上げて築かれ、左右に松の老木が植えられている。その後ろにはアルプスの山々が新雪を抱いているのが印象的であった。