関東支部の活動

研究

第86回関東支部講演会

第87回関東支部講演会開催される

研究委員会  吉田 誠

 平成25年8月26日に東京工業大学大岡山キャンパスにて「戦中戦後を活き抜いた一人の鋳物屋からのメッセージと難鋳造マグネシウム合金ダイカスト技術の開発事例」と題して、関東支部第87回講演会が開催された。

ご講演中の吉沢氏
ご講演中の足立恒氏

 始めに、足立恒(あだちこう)氏より「「鋳物ャ」一筋59年」というタイトルで、「鋳造工学」第85巻(2013)第5号にて、シリーズ「戦中戦後の鋳造技術・研究と後進へのメッセージ」にご寄稿頂いた内容を講演頂いた。足立氏は昭和5年生まれで現在83才。母方の家系は江戸中期から松江で和鉄(たたら鉄)問屋を営んでいたが洋鉄におされて閉じた。その後疎開で島根県境中学へ。旧制松江高校の時には松江内燃機の鋳物場でコークス割りを行った。父親は東京で教員をしていたが、中学3年生で父親を亡くした。「良鐵は釘となさず、良人は兵となさず」という教えであった。戦争中は卵一個を3人で分けるようなこともあった。旧制名古屋大学工学部金属工学科を昭和28年に卒業した。肺結核を患ったことが就職活動に影響し、縁あって昭和29年より(株)共栄特殊鋳鋼所にて鋳物ャになった。HCCコークスの使用によりキュポラの溶解温度が上がったことで100%スティールスクラップとなったが、P, Sが減少しステダイトが減ったことに気がつかず、船舶用ディーゼルエンジンのシリンダライナの耐摩耗性が低下してしまった。これで会社が倒産してしまったが、目標だけにとらわれず広い視野で勉強することの重要性を理解した。昭和43年、椿本チェイン埼玉工場内に椿本鋳工を設立。FC材でテンショナーの製造を開始した。金型鋳造にトライしたがどうしてもチルを防ぐことが出来ず昭和44年に断念した。鋳物ャの仕事は賃加工であって物作りとは言えないという意見も機械ャから聞かれる。こうした見方を払拭すべく設計側へ種々の提案を行う必要がある。巣や品質のバラツキを低減していく努力も今後とも必要である。「なんでもできます」より得意なもので一番をめざすのが良いのではないか。など、後進への有意義なアドバイスを多く頂いた。猛暑の中、発表資料をご準備頂きました足立氏に感謝をいたします。

ご講演中の吉沢氏
ご講演中の榊原勝弥氏

 続いて、アーレスティ栃木の榊原勝弥氏より「自動車用耐熱マグネシウム合金ダイカスト技術開発」と題して講演がなされた。これまでの榊原氏のご経験を踏まえ、材料開発から製造技術までの幅広い内容を紹介頂いた内容を以下紹介する。

(1)材料、流動性、鋳造性について:合金のリサイクルをインハウスとすることでコストダウンをしている。マグネシウム合金の流動性はアルミニウム合金より悪い。単位体積あたりの潜熱量が小さいためである。耐熱マグネシウム合金はAM, AZ系のマグネシウム合金よりさらに流動性悪いため、高速で射出する必要がある。流動性向上のため金型表面をショット加工する、離型剤を工夫するなどして熱伝達係数低減の工夫が必要。ガスだまり、湯境に対する配慮が特に必要であり、湯流れ解析等の事前検討が必須。アルミニウム合金より押し湯が効きにくい。そのため投影面積と増圧圧力の積より型張りは小さい。収縮欠陥の一種である引け割れも発生しやすいため型形状に工夫が必要。溶湯は水素を含みやすくアルゴンガスバブリングが必須。

(2)製品設計:鋼のボルトとマグネシウム合金の熱膨張係数の差により、使用時に座面圧力が増加し、場合によっては降伏する。また、部品が冷えたときに軸力が低下する。理由は明らかではないが、両振りの疲労強度は合金種によらず変わらない。

(3)安全性:機械加工仕上げで事故の3分の1がおきる。易燃性の微粉が発生するバフ研磨工程は用いていない。万一火がついたときは、溶解用フラックスを火に向かって袋ごと投げる。金属消火器はあまり効果がない。
最後に、「マグネシウム合金の利用を促進すべく関係者が集まって国プロ等で研究開発をすすめたい」という言葉で講演を締めくくった。