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「凹んだ氷」(2/2)
物質開発工学科 材料組織学研究室
各務記念材料技術研究所 兼任研究員
吉田 誠
小学生の頃の授業を思い出す。「豆電球に電池とつなぐと明るくなる」、「一円玉を水の上にそっと置くと水面に浮き、乱暴に置くと沈んでしまうのは何故でしょう」と問いかけてきた。みんな考えては、思い思いに手を挙げて発表していた。そのうちクラスの意見が、説得力があると思われる二つ、三つの意見にまとまってディベートが始まった。次の授業に議論が延長することがしばしばあった。それは特別なことではなく、理科の時間はとくに、いつでもそういうスタイルであった。「蝋燭(ろうそく)は何故、灯がともるのか?」そんな議論もした。結局、その時は結論が出ないこともよくあった。幸いテストをやらない小学校だったので、正解を求められることがなかった。成績は、「説得力のある説をみんなの前で発表できるかどうか」でついていたようだ。そういう授業が、楽しかったし、自分には向いていた、と思う。
世間で言うところの偉ーい大学の教授が学生に説教をした。「最近の若者は根性が足りない、以前の学生はもっと頑張った」と。どうあれ頭ごなしにそう決めつけられると、やる気をそがれるものである(なお関係ないが、「かの寺田寅彦ですら『最近の学生には無限の忍耐が必要だ』と言ってこらえておられた。」と中谷宇吉郎の随筆にある。よほど偉い先生でない限りキレるのは、もってのほかと考えるべきだろう)。
話を戻す。記憶した知識や経験は尊い。人々の幸せのために新しいものを作ることを目指している工学という分野では、技や経験が大切である。けれども、経験だけが幅を利かせている学問ほど学理が希薄と見ることもできる。学問は新しい人によって新陳代謝し、新しい知見がどんどん生まれて成長する方がよい。そのためには、知識を教えることも大切であるが、学理といわれている「基本的なものの考え方」と「知識」を共に使って、仮説をたてて検討し解決する能力が重要である。さらには、エネルギー問題や環境問題という、誰もが解決方法を模索している問題に若い世代は立ち向かわなければならない。しかも、我々以上の世代が計らずしもこしらえてしまった国民一人当り平均6,000,000円といわれる負債を返済しながらである。「最近の若者は」と愚痴をこぼす閑にこさえた借金を何とかしなければならない。「考えて体を動かせるタフな学生を育てることが出来れば」と思う。
なお、前回話題にした「凹んだ氷の問題」は、あらぬところで納得した。夜間警備員のアルバイトをしていた頃、「俺はまともに学校で勉強をしたことはない」と言っていた60歳近い警備員のおじさんが教えてくれたのだ。曰く「最後に固まる部分は、一番まずい。だから、その部分を捨て去ってからアイスコーヒーに入れるのだ」と。本当は製造上別の理由があるかもしれないが、この考えは的を射ている。水の中の不純物は、最後に凝固する部分に追いやられるものがある。そして氷が溶けるときには、不純物の多いところから溶け始めるのである。「ちゅーちゅー」が最初に甘いのもそのためであろう。学生に凝固偏析を教えるときには、この例を引き合いに出すことにしている。「オンザロックや水割りを楽しむときは、むやみに撹拌してはいけない」とも言っていた。「グラスの中に漂っている香りが逃げてしまうのだ」と。この真偽は不明である。ご存じの方がおられたら教えていただければ幸いである。本論の内容に関係ないが、その方は私が大学の卒業の報告をしたときに、えらく喜んでいた様を忘れることが出来ない。残念ながら昼夜を問わない過酷な労働条件とお酒、たばこがたたってか、その後、突然亡くなくなられた。
必ずしも高等教育を享受しなくても、物事の本質というものは、見いだせる人には見いだせるのだと思った。
註)なお本稿はかれこれ10年ほど前に IEA編「先生たちのエッセイ集」に掲載されたものを一部改訂したものである。