会員向け情報

リレーエッセイ

「中国古代鋳造品」に魅せられた

日本鋳造株式会社 技術研究所  劉 志民

 リレーエッセイを書けという岡田支部長からのご指示をいただきましたが、ネタがなかなか浮かばず、困っていたところ、第4回のリレーエッセイに掲載した芝浦工大村田先生の“「マンホールの蓋」に魅せられた”という記事を読みました。あー、本当だ、だれでも何かに魅せられたことが必ずあるのではないかと考えました。それで、ぱっとネタを思い付きました。私が魅せられたことは・・・・? これだ!?

 大学時代(中国)の学園祭で、鋳造専門の先生達が復元した中国古代編鐘(ヘンショウ)の複製品を使って演奏したことがあります。楕円形の銅合金鐘の正面(正鼓音)と側面(側鼓音)を敲くと、違った2音が出せます。いわゆる、「1鐘双(2)音」でした。また、正面と側面とでは“半音階”の微小な音階差も見事に表現出来たので、古代人の音楽に対する認識に驚嘆しました。また、当時大学の研究室で中国古代編鐘を複製する作業も見ました。現代技術で製造するのも難しいことなのに、2400年前の古代人はどうやってこのような精度のよい立派な楽器を作ったのでしょうか、と非常に不思議に思いました。それは、今から20年前のことでした。初めて中国古代鋳造品に魅せられました。

 最近、あるフォーラム*1に、大学時代の恩師の原稿を和訳する際に、再び中国古代鋳鉄品に魅せられました。 右図は中国の山西省太原市にある“晋祠”というお寺を立ち守っている鋳鉄の人形です。高さは2メートル、胸部には文字が鋳出されて、計4基もあります。これらの人形は北宋紹聖年(1097年頃)に作られたものとされ、生き生きとした豊かな表情で、歴代の人々を見守るようにしながら、千年あまりの年月を経てきました。

 右図は中国河北省?台開元寺で使われた巨大な鋳鉄の鐘で、高さ2.7m、裾部の周長7.2m、胴部厚さ0.15m、重量約1.5トンです。鐘壁には日、月、人、獣、牛、魚など十二種類の図案が描かれてあり、また、乾、坤、震、巽、坎、离、艮、兑という八卦図も鋳出されています。この鋳鉄品も今から約800年前の金大定甲辰年(1184年)に鋳造されたそうです。
 異なる時代に作られたこの二つの古代鋳鉄鋳物には、一つ共通点があります。数百年ないし千年の年月が経って、風雨に晒されても、未だに鋳出し文字がはっきり読み分けられ、金属光沢は当時のままで、ほとんど酸化されることなく錆も付いていません。これはなぜでしょうか?その原因についての有力な見解がまだありませんが、もしかしたら、その時代でも鋳鉄の表面処理技術が進んでいたか、あるいは耐候性の優れた鋳鉄材を製造できたのではないかと考えられます。いつかチャンスがありましたら、自分の目で実物を確認し、出来たらサンプリングして(許されないだろうが)分析したいとも思います。

 もう一例を挙げます。右図の偏光下金属組織の黒鉛断面が年輪状を示しており、鋳鉄に詳しい方はすぐ典型的な球状黒鉛鋳鉄の金属組織だと分かります。周知のように、球状黒鉛鋳鉄は1947年から1948年にかけて、英国と米国の学者により相次いで発明されたものです。しかしながら、この写真は中国西漢時代の鉄钁(jue)という鋳鉄品の金属組織で、今から2100年前作られたものとされています。また、多箇所の遺跡では、数十件も同じような組織のものが出土し、偶然に作られたものではないと考えられます。これを見る限り、もしかしたら、2100年前に古代鋳物屋がすでに球状黒鉛鋳鉄の製造技術を身に付けていたのではないかとも考えますが、それが、本当でしたら、球状黒鉛鋳鉄の発明は2000年前に遡るではないかとも思われます。

*1、「鉄の歴史――その技術と文化」フォーラム、「中国製鉄史」研究Gr.第5回例会、

2006年8月26日、千葉工業大学