会員向け情報

リレーエッセイ

自分で見て写し習い続ける

㈱アイメタルテクノロジー 技術本部技術センター
研究開発部 山田 聡

 春もたけなわ桜のやさしい明るさに心が癒されます。1月に沖縄を初めて旅行しましたが、既に緋桜が開花していたのを思うと四季の移ろいは気持ちにもほっとした余裕が生まれます。
 職場の関係で毎週のように通っている北の地では、この時期まだ辛夷(こぶし)の白もまばらですが、帰りの上り新幹線の車窓からは色とりどりの花を見る事ができる楽しい季節になりました。そういえば、染井吉野に似た桜も発見者が車窓から眺めていて見つけたという話を聞いたことがあります。という私は、帰路の安堵感も手伝って何時しかうつらうつらを重ねるだけですが。
 精緻な観察によって脳の働きを解明した脳生理学者の話の中に“学生時代に留学先の研究室で多くの脳のスケッチを繰り返し続けさせられた。その時は訳も解らず命ぜられるがままモクモクと続けていたが、積み重ねるうちに、患った病と脳の関係が見えはじめた”というエピソードが紹介されていました。また、司馬遼太郎は「坂の上の雲」で“正岡子規を筆写癖と記述し、まだ印刷技術が普及していない時代にあって彼は借り受けた古人の著作を自分の手で写し習うことを生涯つづけようと努力し、その過程で独自のスタイルを築いていっただろう”と述懐しています。

 学生時代の私は、万年筆でレポートを書いていましたが、社会に出てからは、(当時は、工場や自分職場を含めて複写機が1台しか設置されていなかった)カーボン紙を挟んで濃い鉛筆、そして今では先の太いボールペンを愛用するようになりました。眼の衰えに従い太くて大きな文字を書き易い筆記具を求めているようです。

 そういえばボールペンで自在に風景画を描く教職を退いた方が、波打ち際の動きや藁葺き屋根の古民家をワイエス(Andrew Wyeth)のようなスーパーリアリズム風に(ちょっと褒め過ぎかな)素晴らしい描画に仕上げ、楽しげに語っておられたニュースを見ました。もっともワイエスは心の語らいを作品に込めていたとは感じていますが。
 「自分で対象を細かく見て、写し取る」つまり観察を繰り返すことが、その不均一性や変化、違いを見つけ出す感覚を養う一助になるのは確かではないでしょうか?今は、顕微鏡写真だけで語るのではなくて顕微鏡に試料を載せて様々な視野の組織や倍率を変えてマクロ的にミクロ的にモニターで見比べ、討論が出来るではありませんか。若い技術者とベテランが同時にモニターを見ながら顕微鏡の世界を解説する。鋳鉄の世界では、鋳物の内部と表面の黒鉛形状、分布、粒数など改めて見ていくと面白い世界が広がっています。これをどのように定量化するのか、従来の方法に囚われることなく自由に表現し、それがどのように発生したかを推定し、そのメカニズムを考えていけば研究の種は尽きる事はありません。
 繰り返すことの大切さは身に沁みているはずですが、怠惰なわが身なれば、さあもう一歩踏み出しましょう。