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リレーエッセイ

匠業:たくみのわざ

(株)日立メタルプレシジョン  大塚 公輝
熊井 真次 氏

 私の生誕地である出雲(島根県東部地域)は、東に隣接する伯耆(ほうき:鳥取県西部地域)と並んで、鋼に向いた良質の砂鉄が多く存在し、これを原料とした和式製鉄法である『たたら製鉄』(発祥は中央アジア、中国を経て朝鮮半島より伝来) が、奈良時代頃より明治初期まで盛んに行われてきました。たたら製鉄法で得られた鋼鉄塊は『鉧:けら』と呼ばれ、これを分塊し精選することで良質の鋼を採取ることができます。その中でも日本刀の製作にとって不可欠な極上の鋼を『玉鋼(たまはがね)』と呼び、著名な刀剣作家に供給されてきました。鎌倉時代以降に製作された名刀と称される日本刀は、そのほとんどが、出雲・伯耆のたたら製鉄で得られた『玉鋼』を原料としているといっても過言ではありません。この地方に存在する砂鉄及びたたら製鉄法が存在しなかったならば、今日、我々が目にする国宝級の名刀は生まれなかったものと言えます。

 しかし、日本の製鉄業は、明治中期以降、西洋から技術導入された高炉式製鉄にとって代わられて、大量生産の出来ないたたら製鉄は衰退の一途を辿ることになり、昭和初期には、殆どの『たたら場』が廃業するに至ってしまいました。 たたら製鉄は、良質の砂鉄(低Ti含有)、多量の木炭(広域なミズナラの森林)、炉床と築炉に向いた土(粘土)、加えて、砂鉄を選別する(かんな流し)ための急峻な土地と大量の水などの地政学的な条件も備わっていることが必要であります。さらに大切であるのが、一連の作業を担当する人々の技量であります。すなわち、砂鉄を採取する人、木炭を焼く人、木を切った後に植林する人、たたら製鉄を操業する人、玉鋼を運搬・販売する人、そして、これらの事業を統括する人であります。その中でも、たたらを操業する職人集団の『匠業』が最重要であります。たたら製鉄の操業は、すべての原材料を十分に用意した上で、第一日目:炉床作り、第二日目:釜土作り、第三日目:築炉(舟形構造似)、第四日目:送風管(ふいごに連結)設置と火入れ、ここまでが準備段階。第五日目:砂鉄と木炭の交互装入開始、第六日目: 細心の注意を払いながら砂鉄と木炭の交互装入を継続し『鉧』を育成、第七日目:操業三昼夜目となり砂鉄と木炭の装入を終了・炉心の状況が適当と判断された段階で送風を止めで釜(炉)を崩壊。装入開始の第五日目から操業終了の第七日目の三日三晩の間、たたら操業を総指揮する『村下(むらげ)』は不眠不休で任に当たらねばならないことから、匠業(知性と知識)と共に強靭な体力が必要とされています。

 戦後しばらくして、日本刀を愛する関係者の間で、古来の名刀に匹敵する刀剣を製作するためには、たたら製鉄で得られる『玉鋼(たまはがね)』がどうしても不可欠であり、途絶えて久しいたたら製鉄をなんとかして復元したいとの機運が高まりました。多くの準備期間を要した上で、昭和52年、奥出雲の地に、『日刀保たたら』として復元に至りました。以来、「財団法人日本美術刀剣保存協会」が主体となり、地元の日立金属安来工場とそのグループ会社の協力で年三回の操業が行われています。現在の村下には、木原 明氏と渡部勝彦氏のお二人がその任にあり、お二人の下に上級継承者として十数名の方々が従事され、村下の後継者となるべく研鑽を積んでおられます。ちなみに、お二人の村下は「国選定保存技術保持者」として文部科学大臣から認定され、日本の大切な文化を伝承する技術者として重責を負われています。

 私は機会あって、二回のたたら操業に立ち会うことができました。と言っても三日三晩の間立ち会ったわけではなく、操業六日目の夕方1~2時間と、操業終了日の釜崩し(鉧出し)の現場でした。たたら操業は、今でも、村下の経験に基づく『匠業』と状況把握する『五感』でもって行われます。村下は、本操業の間不眠不休で、炉中の炎を見ながら、温度と還元度合を把握し、ふいごからの風量、装入する砂鉄と木炭の量を微妙に調節し、最良の『鉧(けら)』の育成に努める責務者であり、村下の采配でもって『鉧』の出来の良し悪しが決まるとされています。たたら製鉄が盛んであった江戸時代では、優秀な村下を多く確保した『たたら場【現在でいう製鉄会社、持ち主は大山林保有者;絲原家・田辺家などが代表格】』が大いに繁栄したとのことです。村下となるためには、師匠の村下の『匠業』を吸収しつつ、それを超える知識と知能を体現するとともに、現場の統括者としての人格・人望を身に付ける努力をする必要がありました。その上で、後継者として先輩の村下、並びに、たたら場関係者に認められた者だけが村下の地位を継承することができたそうです。短時間のたたら操業見学でしたが、まさしく上述したところの『匠業』を肌で感ずることができました。

 現在の鋳造製造において、かなりの部分が機械化・計装化・自動化され、鋳物づくりの理屈を知らなくても、それなりの鋳物製品ができてしまいます。しかし、現在の高度の製鉄技術をもってしても『たたら製鉄』で得られるような『玉鋼』を得ることができないのと同様、鋳物づくりの理屈(匠業)を究めなければ、世界が認める高品質な鋳物製品を生み出すことができません。幸いなことに、日本鋳造協会が主体となり鋳造工学会が全面協力する形で、「鋳造中核人材育成プログラム」が開始されています。これらの教育制度と企業内教育の充実により、物量で押されがちな日本の鋳造業を質で勝負できるようにしてゆくことが、これからの鋳造業界の当事者に求められていくことになります。微力でありますが、関係者の一人として、鋳造技術の発展に寄与したいと思う次第です。

 本年10月には、出雲の国の松江市で第159回全国講演大会が開催されます。郷里の人間として多くの会員にお越し頂くことを願っております。折角ですから、大会の前後に少し時間を割いていただき、多くの文化財を保有する出雲地域を散策していただくことをお勧めします。今後の人生の参考になると必定です。出雲へのお越しを心よりお待ちしています。

【散策のキーワード ; たたら製鉄(和鋼博物館)、日刀保たたら場(奥出雲町)、荒神山遺跡、出雲大社)、
松江城、ゲゲゲの女房(2010年春のNHK朝ドラ)、日御碕灯台(ひのみさき灯台,東洋一の高さ)】