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リレーエッセイ

危機の中で生まれた一体感

山梨大学 野田善之

 甲府に移り住んで2年半になる。自宅と職場の間を行き来しかしない私は、近隣の方とのお付き合いはほとんどない。そんな中、今年2月の大雪で貴重な体験をした。

 2月15日の朝、前日から降り続いた雪は外の景色を一変させていた。1メートルを超す大雪であった。しかし、私は呑気なもので、子供のために雪で滑り台を作ってあげようと私が住むアパートの駐車場の雪かきを始めた。水分を多く含んだ雪は非常に重く、1時間で10メートルくらいしか進むことができなかった。諦めようかと何度も思ったが、子供が滑り台を楽しみにしながら、私の後ろで遊んでいるのを見ると止めることができず、ひたすら雪かきをした。そのうちに、同じアパートの住人が「遅くなってすみません」と雪かきに参戦してくれた。そこから急に雪かきのスピードが上がり、昼前には私の住むアパートの雪かきを終えていた。集めた雪で滑り台を作り、子供はその滑り台で遊んでいた。

 雪かきを終えて、家に戻ろうとしたとき、車のタイヤが空転する音が聞こえた。私は既に疲労困憊で、正直、無視して家に戻ろうと思ったが、タイヤの空転する音が「助けてくれ」という叫びのようにも聞こえて、無視できなくなり、その音の方へ向かった。私と一緒に雪かきをしていたアパートの住人も私と同様に駆けつけていた。どうやら同じ気持ちのようで、お互いに笑顔はなかった。

 現場ではスーツを着た男性が車で職場へ向かおうとして、轍にはまり動けなくなっていた。無茶なことをと私は思っていたが、その男性はどうしても職場へ行かなければならなかったらしい。スタッドレスタイヤを装着していたが、雪でできた轍は深く、一度救出してもすぐにはまってしまう状況だった。そこで、除雪車が入っている大通りまで100mくらいの道を雪かきすることとなった。正直、無謀な計画であった。しかし、私たちが雪かきをしている間、近隣の住人が一人、また一人と雪かきに駆けつけてくれ、最終的に7名くらいで雪かきをしていた。その7名は誰がリーダシップをとる訳でもなく、阿吽の呼吸で効率的に雪をかいた。車を大通りに出すことのみを目的に、まるで自分の役割がわかっているようだった。そのとき、私はこれほどまでの一体感を今までに感じたことはなかった。お互いの素性を知らない7名が自分の利益のためではなく、困っている人を助けようという気持ちのみで行動していた。結局、1時間半程度で車を大通りへ出すことができた。そのときの達成感と協力した仲間の笑顔を私は忘れないと思う。

 その後数日間、記録的な大雪で大通り以外の道は除雪車が入らず、多くの道がアイスバーンとなり危険な状態であった。しかし、私の家の前の小道だけが除雪されたため、多くの人が利用していた。数日間であるが、私はささやかな誇りを感じていた。