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続・奥会津に魅せられて
会津の冬は暖かい。
北関東に生まれ育った私には、冬は耳がちぎれそうな北風と、つま先から深々と上ってくる冷えとの戦いのイメージがある。雪国への憧れと、白の世界に映える蒸機の黒煙への期待もあり、冬の会津に何度となく訪問した。その度に感じるのは意外にも冬の暖かさだった。その理由は、会津の地形が典型的な盆地である事に関係しているような気がする。
歴史に詳しいわけではないが、会津の幕末の悲しい出来事は知っている。藩主松平容保のもと、幕府に忠誠を誓い最後まで新政府軍と戦い果てた、凄惨な歴史の遺構が会津の地には今でも多く見られる。
(JR只見線 第三只見川橋梁 2014年12月30日)
鉄道写真撮影でこの地を訪れると、どの路線から入っても、行く手に必ず急峻な峠が存在する。そこは、山を越える日本の鉄道技術の多くが集積されている格好の場所でもある。会津藩が戊辰戦争で最後まで政府軍に対抗し得たのは、この急峻な地形も手助けしたのかな? 三脚の側らで降りしきる雪を被りながら、そんな事を想像してしまう。今回もそんなローカル線の撮影紀行である。
昨年近しい親族を亡くした。例年の年末年始は、新年の挨拶廻りでどこへも出掛けられないが、今年は久しぶりに故人がくれた会津ごもりとなった。
JR只見線第三只見川橋梁、時々刻々猫の目のように変わる景色、列車通過の15分くらい前には川霧ですっかり鉄橋は霞んでいた。雪も断続的に降り、遠距離撮影は無茶だったかな・・。ところが、遠くから汽笛が聞こえてきたときに、す~っと風が流れ、霧が川面の奥に流れて行った。モノトーンの風景に一本だけ緑のライン、そんな想い通りの画像になったのは、偶然と幸運の結果だった。きっと故人がそうしてくれたのだろうな、と思う。私にとっては鎮魂の風景になった。
赤字路線切り捨ての理念からすれば、国鉄民営化の時に廃止を余儀なくされただろうが、現在もJR東日本のお荷物になりながらも存続しているのは、福島-新潟県境の豪雪による冬季国道閉鎖の代替交通機関の役目である。しかし、この県境区間を訪れるにはそれなりの覚悟と装備が必要になる。寒気が入れば視界もなくなり、冗談抜きで遭難の危険が伴う。2月7日魚沼市大白川からカンジキを履いての撮影、つかの間の抜けるような青空、鉄道写真屋同士で交わされる合言葉“天気が良いは七難隠す”そんな表現がぴったりの画像を記録できたのも幸運であった。秋の燃えるような紅葉が織りなす情景とは全く違う、静寂でしかし贅沢な空間を独り占め。40年経った今もそんな“一瞬”を追い求めている。
(JR只見線 大白川-只見 2015年2月7日)
(国鉄只見線1974年2月10日 本名付近 C11+キ100 ※現在は災害により長期不通区間)
リレーエッセイをご覧頂いた皆様へお願い・・・
風光明媚なJR只見線は2011年7月に新潟・福島地方を襲った、100年に 一度の豪雨で只見川に掛かる4本の鉄橋が流出もしくは大きな損傷を受け 3年半が経過した現在も只見-会津川口間が不通となっており、復旧の目途が 立っていないどころか、このままでは部分廃線になる危機に瀕しています。
日経プラスワンの何でもランキングで、平成15年に「雪景色のきれいなローカル線ベストテン」第3位に、平成20年に「紅葉が美しい鉄道路線ベストテン」第1位に選ばれるなど、日本の原風景の中を走る路線の復旧に是非ご協力を頂きたいのです。 福島県、及び沿線町村が只見線復旧復興寄附金を募集しています。 2000円~の寄付で応援会員になっていただく、という形でのご協力を是非お願い致します。(寄付金なしの応援だけでも大歓迎です、応援会員という形での全国からの要望も強い味方です)
詳細は下記URLをご覧ください。(クリックすると別ウィンドウが開きます)
リンク:「只見線の全線復旧に向けて」
リンク:「只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法」
宜しくお願い致します。
只見線応援団 日野自動車代表 井田