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知的財産権概説
鋳造現場と全く異なる仕事になって数年たち、だいぶ慣れたように見える?(見えるだけで、本当にどうかは問わない)勤め初めて間もない頃、担当分野は「連続鋳造とダイカスト」と話すと「鋳造に関係がある仕事で良いですね」などと言われたが、冗談ではない。砂型ダクタイル鋳鉄しか知らない私にとってどれほどかけ離れた技術分野か、一寸想像すれば見当がつく筈。傍で見ている分には暢気そうに見えてもいろいろ苦労しているのであります。ところで、読者の中にも当然ながら流行の知的財産権の知識が必要な方がいるであろうから(と勝手に思って)少し関係したことを書こうとしたが、タガが外れて(韻を踏んだつもりだが、このあたりになると別の《ex.夜の支部便り》のほうが相応しいのかもしれない)どうなりますか。
仕事の書類の中に知っている名前を見つけ懐かしく思うことがよくあります。ついでに内容を見ると(ついでではなくて、これが本業)いろいろご苦心されているのが察せられます。内容をバラスと「職務上知リ得タ秘密ヲ云々(実際は特許公報で公開されるのだが)」とまずいことになりそうなので、勤め先の話にすり替えます。場所は錦糸町、(字面では景気良さそうだが、格別駅前に金襴緞子が飾ってあるわけでは無い)京葉道路と四つ目通りの不愛想な交差点脇の妙なビルの一室です(欠点は、駅に近すぎて帰りに寄り道もままならない)。錦糸町は両国のすぐ隣、国技館やかの吉良邸屋敷跡も近くにあります。転属した2002年の年末は「四十七士討入り300年」、関連の本を立読み(買わない)すると、今の屋敷跡は店舗や民家の立ち並ぶ一角に「本所松坂町公園」として猫の額程のスペースですが,かつては今の両国3丁目あたりの広い敷地だったが、事件後は分割され払い下げ?されたらしい。両国の相撲は財布の都合で縁がありませんが、吉良邸屋敷跡は入場料無しでいつでも見られます。
その裏手(現在はこちらが表通り)に回向院(えこういん)というお寺があり、大石(おおいし)内蔵助(くらのすけ)は討入り後ここで休憩を予定していたのですが、「○月○日○人お願いします」とのメールを送っていなかったので断られ、仕方なく泉岳寺まで行進したとか。回向院にしてみれば「とんでもない狼藉集団に早朝押し掛けられ、便宜をはかって良いものか、もし上杉家が攻めて来たらえらいことになるし、面倒なことはよそでやってくれ」と思っての最善の処置だったのかもしれません。もしこの話を受けていれば、今ごろは内蔵助マンジュウ、安兵衛センベイ、大高源五が手紙を書いた机と椅子に、主税(ちから)が注文したのと同じモーニングセット、神崎与五郎愛飲のワインはコレクター向きの特製ラベルが・・・・(彼は下戸だったらしいが、この位の記念品は中国でかの西施(せいし)が洗濯に使った川の石があるのに比べればまだましで、どなたかの出願特許に比べてもずっと真実に近いか??)加えて義士47名関連ケータイ用グッズと大願成就ゲームソフトは寺坂クイズの応募券と限定セットでプレミアムがつき、普通のパソコン画面では上野(こうずけの)介(すけ)の傷跡が良く見えないので高精細ディスプレイと専用ボードも必要となってここ両国界隈は観光バスが行列して京葉道路も清澄通りも連日大渋滞となったかもしれません。誠に回向院は千載一遇のビジネスチャンスを逃がしたわけで、現場の一寸した対応が企業の発展を左右する故事と言えるのではないでしょうか?!
吉良の殿様は地元の三河国吉良荘では新田開発、塩田経営、治水対策となかなか評判は良かったそうです。東海支部にこの件に詳しい方がいれば教えていただきたいものです。
ついでに、浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が切腹させられた田村右京大夫邸跡は新橋に石碑があるそうです。とんだ話になりましたが、知的財産権に関するこの続きはまた別の機会にでもご披露しましょう。