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知的財産権概説 その2

(財)工業所有権協力センター 吉田 敏樹

吉田 敏樹 氏 前回「に関するこの続きはまた別の機会にでも」と書いたのをどれだけの読者が覚えているかわかりかねるが、まさか「アレは漢字変換の時にヤマイダレを忘れたのよ」というわけにもいかないので(本人の頭の程度とは別の話である)またつまらない話題をご披露しましょう。

 だいぶ古い話になるが、何トカ色の発光ダイオードの特許の報償金訴訟で大騒ぎになったのをご記憶でしょうか?「白色と思ったが,青色らしい」と人の (私の、か?) 記憶とはそんな程度である。白+ヤマイダレの「知」ならばドストエフスキーであるが、若い時に(私にも青春はあった)読んだかどうか、全く覚えていない。

 青色発光ダイオードなみにアメリカで稼いだ特許は、私の好きな(アンタは他に能が無いのよ、などと人をけなしてはいけない)球状黒鉛鋳鉄の特許でありましょう。私も故ミリス氏にあやかって門から玄関まで歩くと、途中で弁当を使うぐらいの大邸宅に住みたいものです。(これは関東支部大々先輩のOK大明神からの受け売りで、私の生まれる前の話としておきます。)

 以前、この(球状黒鉛鋳鉄の)特許のいきさつを少し調べて関連協会の広報誌に書いたことがあるけれど、今回はその続きをもう少し。「球状黒鉛鋳鉄の基礎と応用」中で草川先生が1948年の特許公報 昭26-6706が元々である、と書かれています。出願は昭和25年8月で、このころ(8月16-31日)続けて出願されたものを適当に拾ってみると下表のようになります (特許の分類記号ではC21C1/10・・・となるが、漏れているものがあるかもしれない。確信をもって「すべて」というのは難しい) 。

出願日 出願番号 公告日 公告番号 発明の名称
昭25/8/16 昭25-10660   昭26-6706 新鋳造合金
昭25/8/16 昭25-10661   昭27-105 改良性質を有する鼠銑
昭25/8/16 昭25-10662   昭27-104 新鋳造合金の生成方法
昭25/8/30 昭25-11376   昭27-2107 新鼠銑の改良生成法
昭25/8/30 昭25-11377   昭28-5854 新鼠鋳鉄生成方法
昭25/8/30 昭25-11378   昭28-6003 新鼠鋳鉄の生成方法
昭25/8/31 昭25-11417   昭28-5855 マグネシウム含有添加剤を用いて球状黒鉛鋳鉄を生成する方法
昭25/8/31 昭25-11419   昭28-313 球状黒鉛を含む新鋼状合金
昭25/8/31 昭26-12549 分割 昭28-5856 溶融鋳鉄浴処理剤
昭25/8/3* 昭26-12548 分割 昭29-6105 マグネシウム含有合金を溶融金属に添加する方法
(注)*原本も3日となっているが31日の間違いであろう。
以上はいずれも発明者はケース、ドワイト、ミリス アルバート、ポール、ガグネビン ノーマン、ボーデン、ピリングの3名。出願はカナディアン、ニッケル、プロダクツ、リミテッド
昭25/8/30 昭25-11374   昭27-2106 鋳鉄の生成方法に関する改良
発明者はハロルド、ウイリアム、ヂョーヂ、ヒグネット
昭25/8/31 昭25-11421   昭28-5651 鋳鉄処理用添加剤
発明者はアーサー、ドナルド、バスビイ

 ところで、出願日で調べると、草川先生が昭和24/10/25に「マグネシウム、カルシウム、珪素の合金を使用する球状黒鉛鋳鉄の製造法」という特許を出願しているので、出願日に限れば日本ではこちらのほうが早いことになるが、ミリスの公報には「工業所有権戦後措置令による優先権主張1947/3/22(英国)1947/11/21(米国)」とあります。どんな措置か分からないが、現在の「優先権主張」とまあ同じだろう。さらに草川先生の特許を見ると「本特許は特許第192499(特公昭26-6706)の権利を使用して実施するもので・・・」とあり、やはりこれが最初と岩猿をえません(珍漢字変換の例)。

 日光東照宮の彫刻に三ザル(猫か?)があった?いずれにしても左甚五郎は偉い!ちなみに、東照宮の工事が終わってゼネコンからリストラされた彫刻師が鹿沼に住み着いたので鹿沼の町の屋台(赤提灯ではない、お祭りに繰り出すあれ,山車とも書く)の彫り物はみごとである、ということらしい。ただし塗物師はどうなったのか知らない(鹿沼の屋台は素木(しらき)が特徴である)。

 ここまで来ると、普通なら「それでは内容を調べてみることにしましょう。」となるのだが、あいにく私はそれほどヒマでない。読者のみなさんもこんな駄文を読むのは止めて、第148回大阪大会のオーガナイズドセッション「鋳物の歴史」の牛山五介氏の講演を聞かれる方がよほどためになると思う。このときの懇親会で、東北支部の千田昭夫氏から雑誌「金属」にこの特許のいきさつを書いたとお聞きしたが、だいぶまわっていた (何がまわった??) のではっきりしない。この件は無精して調べていません。

 ところで、両国橋東詰(なぜ突然両国橋か前報をお読みの方は想像できる?)付近には小説「大菩薩峠」で机龍之助と米友が一時住んでいた鐘撞堂新道の弥勒寺橋長屋があったはずだが、バスから眺めても大山巌元帥の碑があるぐらいで、実際に調べたわけでもないのでどの辺りか分かりかねます。それに、この一節が全○○巻中第○巻に書いてあったかを調べるのはハリポタなんぞよりはるかに大仕事になるので今回はここまで。