会員向け情報

会員だより

「ダクタイル鋳鉄の発明者Millisさんのこと」(その1)

特異現象に興味を持つこと、何故だろうという心が大切

(社)日本鋳造工学会関東支部顧問
日本ダクタイル鋳鉄協会名誉会員
岡田千里技術事務所 所長
工博  岡田千里

※本文は、日本ダクタイル鋳鉄協会「DCI NEWS(2006) No.28」掲載文を著者、協会の承諾を得て一部修正の上、2回に分けて掲載します。

岡田 千里 氏 私が企業で働いたのは、ダクタイル鋳鉄がまだ工業化されない生産量ゼロのときから全鋳鉄の50%近くまで成長してきた時代です。当時、この鋳鉄は期待される新素材として多くの分野で脚光を浴び、開発の中心にありました。学会はもちろん私が所属した会社も含め各社の研究者、技術者の多くが総力を挙げて研究開発に取り組んだ時代でした。開発当初はダクタイル鋳鉄管の成長で、ついで自動車用部品としてねずみ鋳鉄に取って代わって生産量は画期的に伸長して行きました。そして今日、両者が殆ど飽和してこの次の土台になる何か新しい物を開発しダクタイル鋳鉄の更なる拡大を図って行かねばと思っております。このヒントとしてダクタイル鋳鉄の開発者Keith D Millisさんから聞いた話をここでご紹介しましょう。

<1982年日本ダクタイル鋳鉄協会の研究発表大会(富士市)で「ダクタイル鋳鉄の35周年」と題したMillisさんの講演の一部を借用しながら話を進めます>

 多くの方々がダクタイル鋳鉄は昔からある材料であり、低S溶湯にMgを添加すれば黒鉛が球状化することはごく当たり前の事実と思っておられることでしょう。しかし、60年前には「鋳鉄の黒鉛を丸くしようなどは非常識なこと」と考えられていたのです。当時の非常識が今や常識になっているのです。このきっかけを作った若い研究者こそINCO社(International Nickel Company)へ入社したばかりのMillisさんです。彼が、研究途中で気づいた特異現象に興味を持ち、何故だろうとその原因を突き止めようとしたからでした。

 1940年代のINCOの稼ぎがしらはNiとCrを合金化させた鋳鉄:Ni-Hard(4。5Ni-2Cr耐摩耗鋳鉄)でした。これに用いるCrが第2次世界大戦の影響で入手困難になるのではないかと危惧され、 代替元素の探査研究がスタートしました。この担当が入社したばかりのMillisさんで、彼はCrのように炭化物を生成する元素を網羅し、これらをCrに替えて添加しようと実験計画を立て、入手しやすく安価ですが添加が危険なMgも取り上げました。添加時、Mgの特性に起因する爆発的な反応もCu-20Mg合金にしてかなり穏やかにすることが出来ました。数多くの実験でMgを少量添加(0。1%以下)することで白銑化が進むだけでなくS%が著しく低減し、靱性が向上することが分かりました。ここに、CrをMgに置き換えた強靱白鋳鉄が完成し、特許も取得して研究課題は上首尾に終了しました。

 研究はめでたく終わったのですが、実験途中で各元素の白銑化傾向を調べるためには幾つもの試験片を破断して破面を作らなければなりません。そのときにMg添加試料が他と比べて折りにくく、これは何故だろうという疑問が生じましたが、実験では白銑組織だったので原因が分かりません。この疑問が頭にこびりついて離れず、上司に原因追及実験を要請し、高C成分でのMg添加実験で思いがけずも球状黒鉛を発見したのだそうです。Millisさんはこの発見をSerendipityだったと言っておられました。日本語では「瓢箪から駒」のことです。指示・命令されたことだけで満足していたらこのような大発見、大発明は生まれなかったのです。「特異現象に興味を持つこと」、「何故だろうという心が大切」です。