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「五街道をあるく」 夫婦二人旅

(その1)まえがき、神奈川宿のこと

(株)トウチュウ 青木 正

まえがき
  4月20日の関東支部総会のときに、岡田支部長から「青木さん。五街道を歩いたことを書かれたら」と
言われたことがキッカケで、今回は“まえがき”と、東海道三番目の宿場“神奈川宿のこと”について書いてみた。

 私たちの「街道歩き」は99年6月13日、梅雨の中休みに始まった。たまたま新聞に横浜の主婦が定年前の夫と旧東海道を三年かけて踏破した記事が目にとまり、家内が「休みを家で過ごすよりは、いいんじゃない」ということから始めた。一日目は日本橋を10時半スタート、休日の銀座を通り抜け、泉岳寺に立ち寄り四十七士の墓前に線香を手向け、北品川から旧道を大森に抜け六郷川を渡り、川崎のはずれの芭蕉句碑のある八丁畷まで歩き電車で帰宅した。二日目は八丁畷から戸塚まで、次は戸塚から平塚まで歩をすすめた。
 いけるところまで行ったら帰ってくる。はじめは計画を立てずに歩いたが、その後は一日20キロを目標に、先ず小田原まで歩いた。しかし酷暑の中での街道歩きはさすがにこたえた。戸塚・平塚間は妹の家でシャワーを浴びて帰った。その後二ヶ月間は中止し、9月中旬の再スタートとなった。また年末の四日市から日永に向かう日暮れ時、みぞれ混じりの雨に出会い風邪をこじらせたため、冬の三ヶ月を休み、最終回の23回は二泊三日で三重県の関から出発し鈴鹿峠を越えて桜満開の琵琶湖疎水を通り抜け、4月8日に京都の三条大橋に到着することができた。

 三ヶ月ぶりに歩く鈴鹿越えは出発時間が遅いため、最初の土山までは17キロを計画したが、二日目からは草津まで36キロ、最後は28キロと昔の旅人並みの歩行を続けた。さすがに東海道494キロを完全踏破したときは、達成日が家内の誕生日と重なったこともあって感無量であった。 東海道を歩いたら「次は中山道ですか。それとも奥の細道、五街道を歩いたらどうですか」との励まし?にもはまり込んで01年から02年にかけて中山道を歩き、03年の春に甲州道中、秋には日光と奥州道中を五年かかって68日間、1483キロに及ぶ全行程を完全踏破することができた。

 東海道を歩き始めたころは勤めの関係から週末を利用したが、仕事の方も一くぎりつき街道歩きの慣れも重なって、その後は順調に歩きつづけることができた。

 中山道からは歩数計を携帯し、甲州道中では小型カメラからデジカメに変わるなど。街道歩きも次第にエスカレートしていった。また歩き始めたころは、旧街道の地図や案内も乏しく道路地図が頼りであった。宇津ノ谷峠で出会った街道歩きを続けている人から、(社)中部建設協会の道路地図を紹介され大いに役立った。(ただし箱根から鈴鹿まで)その後、街道ブームも重なって街道歩きの図書が書店を賑わすようになった。

(パートⅡ・中山道の出発・日本橋道路元標の前にて 01.4.5.)