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「五街道をあるく」 夫婦二人旅
(その5)万治の石仏・下諏訪宿
和田峠の難所を越えた中山道は、御柱祭りで有名な木落とし坂を過ぎ諏訪大社春宮の前に出る。この諏訪大社と切っても切り離されないのが、7年に一度開かれる御柱祭りである。その春宮は杉の大木に囲まれ、拝殿の両側には「御柱」が白い表面を見せながら、すっくと天を指している。
諏訪大社を出ると対岸の畑の中に奇妙な石仏が座っている。万治の石仏である。畑の中の巨大な自然石に袈裟を 刻み、頭部をのせた阿弥陀仏である。万治三年(1660)に諏訪大社の社殿を改修すべく、田んぼの中に居座るこの石を砕いて礎石に当てようとして一人の石工が一鑿を打ち込んだところ、傷ついた石の表面から一筋の鮮血がほとばしった。石工は恐れおののいて、地にひれ伏しその非を悔いた。その夜、石工の夢枕に仏が現われ、神社の礎石の在りかを教えた。そこで人々は再び相談し、春宮裏の巨石に仏を刻むことで、罪滅ぼししたといわれる言い伝えが残っている。
岡本太郎が絶賛したと言われるこの仏像の表情には、不思議な魅力が感じさせられる。
下諏訪宿では万治の石仏と対面する。(01.11.02)
石仏に何となく関心を寄せるようになってから、信州の山野を歩くことにいまひとつの娯(たの)しみが加わったのは間違いない。諏訪の下社春宮の裏に万治の石仏があると聞いて出かけていったときはさしたる期待もいだいていたわけでもなかったが、一見してわたしは、その
偉容に圧倒された。下社春宮の裏の田んぼのなかに巨大な石のかたまりが、まるで大地から生え出したようであった。これが石仏なのか、わたしは遠見にそれを疑ったのだが、地づいていってよく見れば、それはまぎれもない一体の異なる石仏であった。
―井出孫六「信濃の野仏たち」より―
(つづく 次回は木曽路最大の宿場町、奈良井宿)