会員向け情報
「五街道をあるく」 夫婦二人旅
(その6)木曽路最大の宿場町、奈良井宿
塩尻から洗馬宿を出て本山まで来ると、木曽の山並みが次第に目前に立ちふさがってくる。ほどなく「是より南、木曽路」の碑に出会い、「すべて山の中」の木曽路に入る。漆器の町、平沢から奈良井川沿いのシラカバの遊歩道を進むと奈良井宿に入る。
木曽路はすべて山の中である。あるところは岫づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曽川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道は、この深い森林地帯を貫いていた。(島崎藤村の「夜明け前」より)
贄川宿手前にある「是より南 木曽路」の碑(01.11.16)
奈良井宿は難所・鳥居峠のふもとにあって、伊奈と結ぶ権兵衛峠と通じていたところから宿をとる旅人が多く、江戸時代には木曽路最大の宿場として「奈良井千軒」と言われる繁昌ぶりを呈した。天保年間の記録によればこの宿内には旅籠、茶屋合わせて39軒を数え木曽路11宿中では最も多かったといわれる。
狭い道の両側には長い軒先を突き出した家並みが並び、二階を少しせり出した出梁造り、真っ黒くすすけて落ち着いた千本格子が奈良井宿の街並みを強調している。そして現在では、宿場の古い町並みを残す点では全国十指のうちに数えられている。 昭和47年(1972)には信濃自然歩道中山道ルートが制定され、奈良井宿の歴史的姿とともに鳥居峠えは今にその昔を偲ぶことができる。
鳥居峠山頂にて(01.11.16)
早朝の奈良井宿から昨日越えた鳥居峠を望む (01.11.17)
鳥居峠は木曽川と信濃川水系の分水嶺である。そのため中山道を旅する人々にとっては、鳥居峠を越えることが、これで京都に近づいた、また江戸に近づいたことを意味していた。つまり奈良井宿は日本海に注ぐ信濃川の上流、奈良井川のどん詰まりの宿場町である。予定より早く着いたので「伊勢屋」に荷物を預け先ずは鳥居峠越えを行う。奈良井宿を出て沢沿いの細い坂道をすすみ山頂近くになると栃の木の老木群が現れる。苔に包まれた太い幹、ひときわ高い梢に原始的な雰囲気が漂う。その先、右手に御嶽山遥拝所の鳥居が見えてくる。遥拝所には数多くの石碑、石仏などが祀られている。さらに下ると丸山公園。檜の香りを存分浴びながら、鳥居峠の急坂を下れば、お六櫛で有名な藪原宿へでる。
(次回は奥美濃の小さな宿場町、大湫宿・細久手宿)