会員向け情報
「五街道をあるく」 夫婦二人旅
(その10)日光道中、杉並木の中をあるく
五街道の最後の一つである奥州道中は、日本橋から白河までであったが、家康を祀る東照宮が完成すると、江戸・宇都宮間の奥州道中を日光参詣のための日光街道と呼び、宇都宮以北の街道を奥州街道と呼ぶようになった。
将軍や大名のみならず、庶民の東照宮への参詣も早くから許されていたことから、江戸時代を通じて賑わいをみせていた。
宇都宮から分かれて北西に向かう日光道中は、何といっても全長20キロに及ぶ「日光杉並木」である。
江戸時代の初期、家康の家臣・松平正綱、正信親子が植えた杉並木。古いものは樹齢三百七十年を越え、一万五千本もの杉の巨木が続いている。
「二十余年の間、杉を路傍、左右並びに山中に植え、もって東照宮に寄進し奉る」宇都宮から今市に向かい杉並木が始まる地点に一基の碑が立っている。松平正綱が慶安元年(1648)、家康三十三忌法会の際に5万本とも20万本ともいわれる杉並木を寄進したときの記念碑である。
日光例幣使街道*)と合流する今市をでると、杉並木公園があり、車道と離れて歩行者専用の美しい道が続いている。日本の道・百選にも選ばれた日光杉並木の中を歩いてみて、はじめてその偉大さに触れることができた。将軍、大名のみならず多くの人たちがこの杉並木に襟を正したことがうかがえる。
さいわい絶好のウォーキング日和に恵まれ、宇都宮から今市を経て日光までの38キロの上り坂も、杉並木の中を順調に歩けたが、最終地点・日光(鉢石)の神橋に着いた時は、短い秋の日も暮れていた。
*) 日光例幣使街道(にっこうれいへいしかいどう):
江戸時代朝廷より東照宮の神前に供えるものを運ぶための勅使が使った道
今市から日光にかけて続く「日光杉並木」総数15,000本ともいわれている。(03.10.20)
(つづく 次回は「芦野宿の旅行柳から白河へ」)