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「五街道をあるく」 夫婦二人旅(続1)
街道筋の旅籠(その1)
安藤広重 東海道五拾三次之内「赤坂宿」より
江戸時代、大名や武士は本陣に宿泊したが、庶民が利用した宿泊施設で食事付きのものが旅籠、食事無しのものが木賃宿である。各宿場には10軒~20軒程度の旅籠があり庶民や行商人、旅芸人などで大いに賑わっていた。東海道で旅籠の数が最も多かったのは宮宿(熱田)で最盛期には250もの旅籠が軒を連ねていたという。
旅籠には客の相手をする飯盛り女が置かれている場合が多く、とくに赤坂宿や藤川宿には飯盛り女が多いことでも有名であった。東海道では赤坂宿の「大橋屋」が唯一江戸時代の建物そのままで営業をしているが、通過時間の関係で宿泊できなかった。中山道では現在も営業を続けている旅籠が多い。
ここでは街道筋で宿泊した旅籠を選んでみた。
現在の「大橋屋」
広重の絵に描かれた三河・赤坂宿の旅籠「大橋屋」は今なお営業を続けている。
軽井沢宿(中山道) つるや旅館
碓井峠を下りやがて二手橋を渡る。朝旅人を送ってきた宿場の女たちが、ここで二手に別れたところからこの橋を二手橋という。この橋の傍に昔、茶屋であった「つるや」が旅館に変わって今も営業をしている.軽井沢宿ではこの「つるや」付近に一部古い町並みが残っているだけである。(01.10.13)
芦田宿(中山道) 金丸土屋旅館
芦田宿でただ一軒の宿で、江戸時代から旅籠を続けている。「津ちや」と書かれた古い庵看板が今も残り、当時の面影を残している。建物は当時の代表的な建築様式である出梁造りで、約二百年前に建てられたもの。何度か修復されてしまったため、昔の風情は玄関脇の連子格子を残しているだけである。この芦田宿を出ると、すぐ笠取峠の松並木が現れる。(01.10.31)