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「五街道をあるく」 夫婦二人旅(続1)
街道筋の旅籠(その3)
細久手宿・大黒屋の内部
細久手宿(中山道) 大黒屋
細久手宿は旧尾張藩主常本陣「大黒屋」に泊まる。現在、細久手宿にはこの旅籠しか残されていない。卯達のある外観から、上段の間の残る内部に至るまで当時の面影を色濃く残している。建物は安政の大火後の建築なので140年経っている。玄関門、式台、上段の間など往時のまま保存されている。食事は下の広間でとる。(02.10.5)
亀丸屋のおかみさんと
垂井宿(中山道) 亀丸屋
美濃路最後の宿、垂井宿入口の桝形付近にある「亀丸屋」は安政七年(1778)創業の旅籠。現在も当時の建物が営業を続けている。一階部分は大分姿を変えてしまったが、二階の鉄砲窓や連子格子の出窓などが残る。また離れには上段の間と廊下のうぐいす張りが残る。その上段の間に泊まる。(02.10.17)
台ケ原宿(甲州道中) つるや
甲州道中、台ケ原宿に建つ江戸時代の雰囲気を残す「つるや」に泊まる。『津留や・諸国旅人御宿・鶴屋』の看板が宿場町の面影を今も残す。甲州、日光、奥州道中のなかで数少ない昔からの旅籠。さまざまな地方色豊かな「講」の看板が目に付く。
宿は隣の新館でとる。(03.5.10)
格子戸をくぐり抜けると玄関先には大きな囲炉裏がある。中山道の旅籠には今もなおこの囲炉裏が数多く残され ている。高崎からの中山道は2泊3日で旅籠を中心に泊まり歩いた。険しい碓井峠を越え、右に浅間の噴煙を望み ながら歩き芦田と和田に宿泊。和田峠で日本の屋根を越え、塩尻峠そして鳥居峠と数々の木曽路の山々を通り抜け たどり着いた宿。玄関先の板の間で赤々と燃える囲炉裏前での夕食を済ませ、夜ともなれば見知らぬ旅人同士の懇 談の場ともなる。
大妻籠宿の「つたむらや」では秋篠宮が学生時代に合宿で泊まられ、紀子さまと星空のもと初恋が芽生えた宿であったことを聞かされた。垂井宿の亀丸屋では自転車旅行の学生を遅くまで待ち続けたことや、愛知川宿では越中富山のクスリ売りとの出会いなど、この囲炉裏傍での思い出話は尽きない。
旅籠には大きな囲炉裏がある。 夜になれば酒を酌み交わす談笑 の場ともなる。(馬篭宿・但馬屋)